【小林正観】「悩み・苦しみ」という泥水が濃いほど、「幸せ」という大輪の花が咲く話【紹介】

「悩み・苦しみ」

という泥水

が濃いほど、

「幸せ」という

大輪の花が咲く

 

  

   

   

お釈迦(しゃか)様の台座は、

「蓮(はす)の花」です。

   

  

  

なぜ、

蓮の花が

選ばれたのでしょうか?

  

  

 

蓮の花は、

「泥水」の中からしか、

立ち上がってこない

といわれています。

  

  

  

真水の場合、

蓮は立ち上がってきません。

  

  

  

しかも、

泥水が濃ければ濃いほど

(水が汚れているほど)、

蓮の花は、

大輪の花を咲かせる

らしいのです。

  

    

   

   

泥とは、

人生になぞらえれば、

「つらいこと」

「悲しいこと」

「大変なこと」

です。

  

  

  

蓮の花とは、

まさに

「人生の苦難の中で、

 花を咲かせること」

です。

  

  

  

そして、

その花の中の実が

「悟り」

ということに

ほかならないでしょう。

  

  

   

  

「つらく悲しい思いがなければ、

 人間は悟ることがないのだ」

ということを、

お釈迦様は教えたかった

ようです。

  

  

  

   

 蓮の花には、

 「3つの特徴」があります。

   

    

   

【1】 「花果同時(かかどうじ)」

   花と果実が同時に開く(実る)ことです。

   花が開いたときに、

   中にはすでに果実が存在しています

   

【2】 「汚泥不染(おでいふせん)」

   蓮の花は、

   どんなに汚い泥の中から

   立ち上がってきても、

   その汚れに影響を受けず、

   とてもきれいに咲いています

   

【3】 「蓮にあだ花なし」

   「あだ花」とは

   咲きそこなったり、

   きれいに開かなかった

   花のことをいいますが、

   蓮の花には、

   あだ花がないそうです

   

   

泥水から立ち上がってきた

蓮の花は、

きれいに咲く。

   

  

  

  

泥の中から

立ち上がってきたこと

を感じさせないほど、

美しく咲いています。

  

  

  

  

つまり、

どんな悩み・苦しみ・大変なこと

の中から立ち上がってきても、

そこで泥を突き抜けて

花を咲かせた人は、

美しいもの(悟り)

を手に入れる

ということです。

  

  

  

  

  

  

お釈迦様は、

蓮の花のありようについて、

ひとつの「経文」を残しました。

  

  

  

  

  

  

それが

「法華経(ほけきょう)」

というものです。

  

  

  

  

  

お釈迦様にとって、

蓮の花のありようは

「人間のありよう」

を教えるものであったのでしょう。

  

  

  

  

   

   

「美しい花を咲かせるためには、

 泥が必要である」

  

「悲しみ、つらさ、大変なことがない限り、

 美しい花を咲かすことができない」

   

ということを、

   

お釈迦様は、

後世の人に伝えたかったようです。

  

  

  

  

  

  

「私たちには泥水が必要である」

  

  

そう思うことができれば、

「不幸」や「悲劇」と言われていることは、

じつは自分にとって、

ものすごく嬉しく、楽しく、幸せで、

素晴らしいことだということに、

気づけるのではないでしょうか。

  

   

  

出典:ありがとうの魔法

  

おしまい

  

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【小林正観】お酒を飲みすぎる人は、お酒の力を借りて「悩みや問題」を飲み込んでいるらしい【紹介】

お酒を飲みすぎる人は、

お酒の力を借りて

「悩みや問題」を

飲み込んでいるらしい

  

  

  

    

私の考えでいうと

  

  

お酒を飲む人は

飲み込みたいこと

(悩みや問題)

がたくさんあって

お酒というものを借りて

飲み込んでいるのではないでしょうか。

  

 

  

  

  

  

飲み込みたいものが

たくさんあると

お酒を飲むようになるようです。

  

  

  

  

  

  

「お酒を飲むな」

と言っているのではありません。

  

  

  

  

お酒に依存している人は、

飲み込みたいことがたくさんある状況を

作らないようにすることが

根源的な治療ではないでしょうか。

  

  

   

  

たとえば、

家に帰って

お酒を飲もうとするときに

妻が不機嫌で

笑顔をなかなか見せてくれないと

「何のために俺は働いているんだろう」

という不平不満を

「お酒の力を借りて飲み込もう」

と思うのではないでしょうか。

  

   

  

  

  

ですから、

奥さんは

ご主人が仕事から帰って

お酒を飲むとき

最初の30分くらいは

「あなたのお酒に付き合います」

と言って、

笑顔で、優しい気持ちで

お酌をしてあげるのはどうでしょうか。

  

  

  

  

   

  

「お酒をたくさん飲むということは

 何か、飲み込んでしまいたいストレスが

 あるのだろう」

と、思いやってあげる。

  

  

   

  

    

  

そして、

優しい笑顔を見せて

「いつも大変な仕事をありがとう」

と言ってお酌をしてあげる。

  

  

  

   

  

ずっと、付き合う必要はありません。

  

  

   

  

30分経ったら

「じゃあ、私はお風呂入るから」

と言って切り上げてしまえばいいのです。

   

  

   

    

  

そのように、

30分だけでいいから

お付き合いしてあげたら

如何ではないでしょうか。

  

   

  

  

   

そうすると

次第に、

お酒に依存しなくなるかもしれません。

  

  

  

もしかすると、

タバコを吸う人は

タバコの煙という形を借りて

吐き出したいものを

吐き出しているのかもしれません。

  

  

  

  

お酒を飲み

タバコを吸うということは

「自分はストレスに弱い、

 すなわち弱い人間である」

ということが

見え隠れしてしまう気がします。

  

  

  

人間の「心理」を考えていくと

どうも、お酒は、そういう理由で

飲み込んでいるらしい、

タバコは、そういう理由で

吐き出しているらしい、

ということに気がつきます。

  

  

  

お酒とタバコに依存している人は

「人前で飲みすぎたり

 人前で煙を吐き出すのは

 辞めた方がいい」

ように思います。

  

  

  

   

   

  

なぜなら、

「ストレスにものすごく弱い」

ということを

他人にさらけ出している

ということになるかもしれないからです。

  

  

  

   

  

    

弱い人間であってもいいと思いますが

「自分は弱い人間だ」

と他人に自ら

さらけだす必要はないと思います。

  

  

  

出典:ありがとうの魔法

  

 

おしまい

   

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【小林正観】「母親に認められている」と感じている子どもは、何度でも挑戦する話【紹介】

「母親に認められている」

と感じている子どもは、

何度でも挑戦する話

   

   

  

  

 

「母親に認めてもらっている」

と実感している子どもは、

自分の力を信じて、

何度でも挑戦する

  

  

   

    

「人生の節目節目で体験した

 危機的な状況に際して、

 母ほど自分を認め、

 信じてくれた人はいない。

 それなくしては、決して

 発明家としてやっていけなかった気がする。

 母の記憶は神の祝福に等しいものである」

(『エジソンの言葉 ヒラメキのつくりかた』

 (浜田和幸/大和書房より引用)

  

  

  

この言葉は、

20世紀最大の発明家、

トーマス・エジソンの言葉です。

  

  

  

  

エジソンにとって、

母親の存在、

そして、

母親がしてくれたことは、

とても大きなことだったようです。

 

  

  

  

  

では、

エジソンの母親がしてくれたことは、

どんなことだったのでしょうか。

  

  

  

  

私の考えでは、

次の「3つ」だったと思っています。

 

   

   

【1】誰がなんと言おうと、

   いつもエジソンが素晴らしい力を

   持っていると信じたこと

   

  

【2】そして、

   それを言葉や態度で

   エジソンに伝え続けたこと

 

  

【3】エジソンが興味を持った分野を

   尊重して、十分に

   やらせてあげたこと

  

  

  

   

エジソンは、

学校の先生からも、

父親からも、

友だちからも、

「ダメではないか、

 頭がおかしいのではないか」

「変な子だ」

と思われていたようです。

  

  

  

  

   

それでもエジソンが、

「自分はダメだ」とも

「自分は変だ」とも

思い込まずにすんだのは、

どんなときも息子の行動を理解し、

持っている力を信じ、

あたたかく励まし続けた

母親のおかげだったのでしょう。

  

  

  

  

  

   

といっても、

エジソンの母親は、

エジソンの中に

「発明家としての才能」

を見い出していたから、

「あなたには素晴らしい力がある」

と励ましたのではないと思います。

  

  

  

  

  

   

また、

ほかの子どもと比較をした結果として

「あなたは優れている」

と言ったのでもないと思います。

  

  

  

  

  

  

そういうことではなくて、

「どんな子どもでも、

 もともと、素晴らしい力を持っている」

というのが、

子どもを見るときの

大前提だったと思います。

  

  

  

  

  

  

比較の結果として、

「ほかより優れているから素晴らしい」

と認められたり、

「これができたら、あなたはすごい」

という条件付きでしか

認めてもらっていない子どもは、

誰かに追い抜かれたり、

うまくできなかったときに

「ああ、自分はダメなんだ。力がないんだ」

と思い込んでしまうでしょう。

  

  

  

  

  

  

  

   

   

そうではなくて、

「できても、できなくても、

 人に勝っても負けても、

 そんなことに関係なく、

 あなたはもともと

 素晴らしい力を持っている」

というメッセージを

子どもに伝えてあげる……。

  

  

   

「母親に認めてもらっている」

と実感している子どもは、

たとえうまくいかないことがあっても、

自分の力を信じて、

何度でも挑戦しようと

してくれるのではないでしょうか。

  

  

  

自分に「自信」を持っていると、

人生を簡単にあきらめたり

投げ出したりしない人間に

育っていくようです。

  

  

  

  

  

  

  

出典:ありがとうの魔法

  

  

  

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【小林正観】「人生」=「自分の書いたシナリオどおり」の話【紹介】

「人生」=「自分の書いたシナリオどおり」の話

  

 

  

「人生」=「自分が主人公の映画」

と思えれば、

どんな事件も楽しめる

 

  

 

テレビがなかった時代に

つくられた映画より、

現代の映画は、

よりスペクタクルに、

よりスリリングに、

よりドラマチックに

なっている気がします。

  

 

  

ところが、

私たちの身近には、

「もっと楽しく、ドラマチックで、

スリリングで、ダイナミックな映画」

が存在しています。

  

  

  

その映画は、

ストーリーが波瀾万丈で、

次から次に

事件や出来事が起きて、

ラストシーンの予測がつきません。

  

  

  

  

登場人物は、

一人ひとりが

じつに個性的で、

おもしろく、

楽しい人たちばかりです。

  

  

  

  

  

さらに、その映画は、

フルカラーの「立体映画」です。

  

  

  

湯気の立ったおいしそうな

コーヒーを飲むこともできるし、

みずみずしいフルーツを

手に取って食べることもできる。

  

  

  

美しい山を登ることも、

美しい海を泳ぐこともできます。

  

  

  

映画の主演も、

監督も、

シナリオ(脚本)も、

すべて「自分」です。

  

  

映画のタイトルは『わが人生』。

  

  

  

鑑賞料金は、「無料」です。

  

  

  

この映画は、

長編映画で、

「自分」の寿命が

尽きるまで展開します。

  

  

  

  

もし、

寿命が100歳だとするならば、

30歳の人はあと70年、

40歳の人はあと60年、

50歳の人はあと50年続きます。

  

  

  

  

眠るとき、

「今日の分」の上映が終わります。

  

  

  

  

目を閉じると

「続く」と出て、

翌朝、

目を覚ますと

「続き」がはじまります。

  

  

  

  

この刺激的で楽しい映画を、

さらに楽しくする方法があります。

  

  

  

  

その方法は、

「不平不満・愚痴・泣き言・

 悪口・文句を言わないこと」

です。

  

  

  

  

  

「偶然」の出来事も、

じつは偶然ではないらしい。

  

 

  

  

  

自分が生まれる前に、

「自分でシナリオを書いてきている」

ようです。

  

  

  

  

  

目の前の出来事に納得できなくても、

「自分の書いたシナリオ」である以上、

誰かを恨んだり、

呪ったり、

感情的になるのは

筋違いだとわかります。

  

  

  

  

  

「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の5つを、

私は「5つの戒め」として

「五戒(ごかい)」と呼んでいますが、

「五戒」を口にしないで

3ヵ月から6ヵ月すると

(個人差があるようです)、

宇宙から

「これをしてください」

という提示が届くようです。

  

  

  

  

  

この宇宙の提示を

素直に受け入れるようにすると、

映画『わが人生』は、

これまで以上に

ダイナミックに、楽しく、

急展開をはじめるらしいのです。

  

  

  

   

  

今までの自分の映画には

登場していなかった、

不思議で、魅力的で、

ミステリアスな人たちが

次々とあらわれるようです。

(急展開もじつはシナリオ通りなのですが……)

  

  

  

  

  

   

この急展開を

拒否しないで受け入れていくと、

肉体的にはきつく、

忙しくなるのですが、

悩んだり苦しんだり

迷ったりすることがほとんどないため、

毎日がワクワクの連続です。

  

  

  

  

  

   

そして、

「今日はどんな人があらわれるだろう」

「今日はどんな事件が起きるだろう」

と楽しんでいるうちに、

いつの間にか、

社会の中で、

ある種の「役割」を

こなしはじめている自分に

気づくようになります。

  

  

  

  

  

  

優秀なシナリオライターであれば、

後半の人生は、

もっと劇的で

もっとおもしろい

ストーリーを

用意しているはずです。

  

  

  

  

 

  

物事を

「好きだ」「嫌いだ」

で判断しないで

「宇宙の提示」

に乗るようにすると、

楽しくて素晴らしい

「40年映画」

「50年映画」

「60年映画」

が展開しはじめるようです。

  

  

  

  

出典:ありがとうの魔法

  

  

  

おしまい

   

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【小林正観】人生は、「修行の場」としてではなく、「感謝の場」として存在する話【紹介】

人生は、

「修行の場」としてではなく、

「感謝の場」として存在する話

  

  

  

  

ある方から、 

「この世は修行の場なのですね。

 この世では、

 我慢や忍耐をして

 生きて行かなければならないのですね。

 目の前の出来事はすべて

 修行のために存在してるのだから、

 立ち向かったり、

 乗り越えなければならないのですね」

という質問をいただきました。

  

  

    

「人生=修行」

ととらえても、かまいませんが、

宇宙の構造としては、

「修行の場」として

設定されているわけではありません。

  

  

  

私たちの目の前に起こる現象は、

すべて「ゼロ(中立/ニュートラル)」

なのではないでしょうか。

  

  

  

  

物事を捉える力を

「認識力」と呼ぶなら、

認識力が上がるにしたがって、

この世の中を

「3つの段階」で

解釈するようになります。

  

  

   

  

  

  

  

①第一段階

 「この世は、修行の場である」

②第二段階

 「この世は、喜びの場である」

③第三段階

 「この世は、感謝の場である」

  

  

  

  

  

  

①第一段階

「この世は、修行の場である」

  

目の前の現象は、

「私」に修行させるために

存在している。

  

「人生は苦しみに満ちている」

と悲劇にくれるより、

「苦しみや悲しみを乗り越えていくしかない」

と考える人の方が、

まだ一歩前進していると思います。

   

そう思うことで気持ちが

ラクになるのであれば、

そのようにとらえてもいいと思います。

  

ただ、本質的には、

この世は「修行の場」

ではありません。

  

  

  

  

  

②第二段階

「この世は、喜びの場である」

  

  

  

私たちが

肉体を持って生まれてきたのは、

「人生を喜ぶためではないか」

と考えることもできます。

  

このように認識することができたら、

認識力は「3分の2」

(100点満点中の66点か67点)

まで行ったと言えるでしょう。

  

  

  

   

   

  

③第三段階

「この世は、感謝の場である」

   

  

  

100点満点中の99点、

あるいは100点のとらえ方は、

「この世は修行の場でもなく、

 幸せや喜びの場でもなく、

 実は、感謝の場である」

ことに気づくことです。

  

  

  

  

  

  

たとえば、

自分の会社が倒産し、

職を失ったとします。

  

  

  

その時、

「自分はこういう状況に耐えて、

 我慢し続けることで

 人生の修行をしている」と、

「第一段階」のとらえ方をする人が

いてもおかしくありません。

  

  

  

ところが、

認識力が「第二段階」まで上がっていると、

「この会社を辞めて

 新しい仕事ができることは、

 とても嬉しく、楽しく、

 幸せなことだ」

と思うようになります。

  

  

  

そして、

認識力の一番奥にある

「第三段階」では、

「新しい仕事を探さなければ

 いけなくなったからこそ、

 天職や天命に出会える」と、

「会社が倒産したこと」にも

感謝できるのです。

  

  

  

  

私は、

「感謝の場だと捉えるべきだ」

という「べき論」を

言っているのではありません。

  

「修行の場」

だと捉えることで、

人生が楽しくなるなら、

それでもいい。

  

  

しかし、

「修行の場」

と思うよりも

「この世は感謝に満ちている」

と考えることで

ラクに生きられるのであれば、

そのように認識を変えればいい

と思います。

  

  

  

現象自体はゼロです。

  

  

「修行」でも、

「喜び」でも、

「感謝」でも、

どんな色をつけても

自由です。

  

  

   

  

自由とは

「自ら由る(みずからよる)」

と書きます。

  

  

自由のとらえ方、

認識の力が、

この世の評価を決めるのです。

  

  

  

 

  

  

  

おしまい

   

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【小林正観】神様を味方にする法則【紹介】

神様を味方にする法則

出典:人生を変える学校 Life Changing School

  

  

  

【どんなときも「ありがとう」という力】

    

実は、

本来の私たちには、

すべてのことに

「ありがとう」

と感謝できる能力が、

神様によって

インプットされているようです。

  

  

  

  

家族、夫婦、友人、

知人、お金や仕事、健康……

目の前のことすべてに、

心の底から手を合わせられるのです。

  

  

  

  

  

病気や事故のような、

ふつうに考えると困難な出来事さえ、

私たちは

「ありがとう」

と言えます。

  

  

  

  

  

そういう私でいると、

奇跡が起きます。

  

  

  

  

  

  

  

この本では、

不安・困難・悲しみに

突き当たったときでさえ

自然と

「ありがとう」

と言える生き方、

物事を喜んだり

楽しんだりする

考え方のコツをご紹介します。

  

  

  

簡単なことばかりですが、

実践すれば、

きっと神様が味方になり、

悩みや苦しみのない

人生を送れるでしょう。

   

――小林 正観

  

  

  

  

  

  

   

【小林正観ベスト講演CD付録】
「無尽蔵の幸せに気づく方法」
~私の話を聴きながら、どうかたくさん笑ってください~
・最新で最強のあいさつ言葉
・齢を重ねるほど、人生がいっそう楽しくなる
・ドラえもん、志村けんさん、良寛さんの共通項
・勝手にお金が貯まるキャッシュカードの暗証番号0358
・神様に特別に気に入られて、私たちは地球に生まれてきた
・私が灰色のベストを着ている理由
・イカの手と足の見分け方
・自分の努力で手に入れたものなど何一つない
・金でも銀でもなく「銅でもいい」生き方
・あなたにも必ずある「自分だけの役割」
・子どもや夫・妻が大成する名前の呼び方
・無尽蔵の幸せを一瞬で手に入れる法則
ほか

  

  

  

  

  

  

  

  

付録CDの一部を試聴できます(14分公開)
・Youtubeの検索窓に<小林正観「神様を味方にする法則」ベスト講演CD付録>と入力
・ブラウザに入力してください→URLはコチラ youtu.be/nKSorA1DioU
のいずれかの方法でアクセスできます。

  

  

  

   

  

  

   

【もくじ】
はじめに
第1章 お金と仕事への「ありがとう」
・お金は「喜ばれたい」と思っている
・お金が無限に入ってくる財布
・トイレ掃除でお金や仕事が舞い込んだ実例
・働く意義は「う・た・し」    他

第2章 人、神様、霊への「ありがとう」
・甘えて生きればいいではありませんか
・霊にうまく憑依される方法
・「初詣で」より「晦日詣で」
・神様が味方になる究極の法則「そ・わ・か」他

第3章 健康、病気、死への「ありがとう」
・人が病気になる理由
・ストレスを根本的に解決する
・水を飲んで若返る方法
・最高の死を迎える準備    他
辞世の句
正観さんと私たちのちいさな物語
おわりに

  

  

  

  

  

  

おしまい

  

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【小林正観】「不幸」は「幸せ」の前半分と言えます【紹介】

「不幸」は

  

「幸せ」の

  

前半分である

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

  

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

    

  

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

  

  

出典:一日一話358ばなし

 

  

  

  

   

  

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

  

   

  

出典:一日一話358ばなし

  

    

  

  

   

  

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

  

    

  

出典:一日一話358ばなし

  

  

  

  

   

  

  

  

「幸せと不幸」について、

思い至ることがあります。

  

  

それは

「幸せと不幸は

『たまご構造』。

  

  

それも

ゆでタマゴではなく

生タマゴだ」

というものです。

  

  

  

例えば

「おいしい」という概念の

前段階として、

必ず「空腹だ」という概念が存在します。

  

  

  

「空腹」という現象が

存在しなければ

「おいしい」

という現象が存在しない。

  

  

同様に「のどが渇いた」

という現象がなければ、

「のどの渇きが潤せた。嬉しい」

という現象が存在しません。

  

  

  

さらに考えるに

「空腹であればあるほど」

おいしさは増加する。

  

  

逆に空腹が小さいものであれば、

おいしさも小さい。

  

   

あきらかにその量は連動しています。

  

   

  

  

  

  

出典:100%幸せな1%の人々

  

  

   

  

「おいしい」という「幸せ」

を味わうためには、

どうやら「空腹だ」

という「不幸」を味わわねばならない、

というのが宇宙構造のようです。

   

  

 

おしまい

  

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【小林正観】親がつい子どもに言ってしまう言葉、「こうしなさい!」が成長の芽をつむ話【紹介】

親がつい子どもに言ってしまう言葉、

「こうしなさい!」が成長の芽をつむ

  

  

  

  

  

自分の子どもを

「天才」に育てる方法がある

  

  

  

  

子育てに関して、

「親が子どもをしつけなくてはいけない」

と気負いすぎている母親を見かけます。

  

  

   

しかし、

子育ての本質とは、

子どもをしつけることではなく、

「子どもの芽を摘まないこと」

です。

  

  

  

子どもに

「ああしなさい、こうしなさい」

と手をかけすぎるから、

子育てが重荷になります。

    

  

  

でも、

「あなたのこういうところがステキよ」

「あなたのこの部分がすごいね」と、

「ひとりのファン」として

喜んであげることができたら、

子育ては楽しいものになります。

    

  

  

  

子どもが「キラリと光る片鱗」を見せたら、

それを一緒に喜んであげる

それだけでいいのではないでしょうか。

    

  

  

心理学では、

「初期印象効果(インプリンティング)」

と呼ばれる刷り込み効果が認められています。

   

  

  

  

たとえば、

動物は、生まれた瞬間に

目の前に動くものがあると、

それを「親」だと思ってしまいます。

    

  

  

   

インプリンティングの視点から

人間を見たとき、

母親は、

「自分の人生の初期に、いちばん多く接する人」

です。

  

   

男の子からすると、

母親は「はじめての恋人」であり、

女の子からすると、

「はじめてのお手本」といえるでしょう。

   

  

  

  

子どもの才能を伸ばしていくには、

身近にいる母親が

大きな影響を及ぼしているようです。

    

  

  

  

母親から、

「いつも肯定されている子ども」は、

自分の関心事を否定されないので、

自分の才能をスムーズに

開花させることができます。

  

  

  

   

母親が

「あなたは、そのままでいいのよ」

と受け入れていくと、

子どもは個性的に、

のびのびと育ちます

   

  

  

   

「芽をつぶさない」ことと

「甘やかす」ことは違いますから、

常識的に間違っていることがあれば、

その都度、指摘したほうがいい。

    

  

  

ただし、

指摘をするときは、

「笑顔」を忘れないこと。

  

   

  

そして、

子どもが言うことを聞かなくても、

頭ごなしに子どもを

否定しないことが大切です。

   

  

  

  

「天才のつくり方」というものがあります。

 私が思うに、

天才と呼ばれた人たちには、

共通項があるようです。

  

  

   

それは、

母親の存在です。

  

  

天才を育てた母親は、

「子どものことを、丸ごと全部受け入れ、

 肯定していた」のです。

      

  

  

   

たとえば、

子どもが、アリの行列を

何時間も見入っていても、

もやしが生えるのを

一晩中眺めていたとしても、

「何をしているの? 早く寝なさい」

「そんな変わったことをしていないで、

 普通の子どもになりなさい」

 とは叱りません

  

  

  

   

子どもに対して文句を言ったり、

小言を言ったりしないで、

「この子は、こういう子なんだ」

と肯定的な見方をする。

  

   

その結果、

子どもの才能は、

すくすくと伸びていくのではないでしょうか。

    

   

  

  

  

天才をつくるのは、

難しくありません。

「この子は、こういう子だ」

と認め、守り育ててきた子どもが

天才になります。

   

  

  

子どもが、

夢中になっているときに、

「すごいね」と言って

丸ごと受け入れ、

ニコっと笑顔で

接してあげればいいのです。

  

  

  

  

自分の感情を

コントロールできない大人を、

子どもは

「大人とは認めない」

  

  

母親のことが大好きな男の子は、

勉強もするしお手伝いもしますが、

母親のことが嫌いだと、

すべて「言われたことの反対」

をやります。

  

  

  

   

「こんな母親に好かれたくない」

と思っているからです。

  

  

   

好かれていない母親は、

今日から正論を言うのをやめたほうがいい。

  

   

  

好かれていない母親が

何を言っても、逆効果です。

  

  

  

まずは1年くらいかけて、

「好かれる母親」になってから、

ニッコリ笑って

「こうしてくれると、お母さんは嬉しい」

と言うと、やってくれます。

    

  

  

  

子どもは、

感情的な母親(大人)を

嫌う傾向があります。

  

  

  

  

子どもは、

自分の感情をコントロールできない大人を、

「大人とは認めない」のです

  

  

  

たとえば、

子どもは、

「バカ」とか「アホ」と言われると、

「そんなことない」と

真っ赤になって怒ったり、

抗弁したり、

喧嘩をしたりします。

   

  

子どもは、

感情を制御できません。

   

  

それなのに、

お父さんから「バカ」と

言われたお母さんが、

言い返したり怒ったりせずに、

ニコニコ笑いながら

受け止めていると(感情を制御していると)、

子どもは お母さんのことを

「大人」として認めます。

   

  

   

  

何があっても感情を

コントロールできる母親を見て、

尊敬するのです。

  

  

(大人の語源は、音なし。

 何があっても大きな声を

 出さない人を、

 大人と呼ぶようになりました)

    

  

そして、

尊敬する母親から言われたことは、

素直にやるようになります。

母親に好かれたいからです。

   

  

  

  

ところが、

母親が自分の感情を

コントロールできずに、

ヒステリックに

怒っているのを見ると、

   

子どもは

「お母さんも、僕たち子どもと

 変わらないじゃないか」

と残念に思い、

親の言うことを聞かなくなります

   

  

母親は、子どもに対して、

「大人」であることを示したほうがいい。

  

  

何があってもイライラしないで、

笑顔を保ち、感情をコントロールする。

  

  

そうすれば男の子は、

母親を尊敬し、好きになります。

  

  

  

女の子は、

母親をお手本として、

母親のコピーとして育ちます。

  

    

害虫を見たら「キャー」と

叫んでスリッパでバシッと叩く、

という母親の姿を見た女の子は、

大人になると、母親と同じように、

「キャー」と叫んで

スリッパで害虫を叩きます。

     

   

母と娘のこの連鎖を

「キャーの遺伝」と

名付けましたが、

女の子は、

母親の言葉よりも、

行動を見て育ちます。

  

  

母親と同じ行動パターンを

身に付けるのです。

  

  

母親が娘を見て

嫌悪感を覚えるとしたら、

子どもの中に、

自分の嫌な面を見るからでしょう。

   

母親が、

親子ゲンカの最中に、

「あなたなんか生まれてこなければよかった」

「産むつもりじゃなかった」

と言ったとします。

  

  

すると、

その言葉を言われた娘は、

自分が母親になったとき、

同じセリフを使うようになります

  

  

そして、

代々、その言葉が受け継がれていくと、

「わが子を殺してしまうような母親」

が出てしまう可能性があります。

  

  

 

ですから、

代々受け継がれた「遺伝」を

どこかで断ち切らなければなりません。

    

   

娘をいい子に育てようと思ったら、

子どもに

「ああしろ、こうしろ」

と言う以上に、

自分の行動や態度を

見直すことが先決だと思います。

  

  

  

出典:ありがとうの神様

  

  

おしまい

  

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【小林正観】「怒り」には毒素が含まれているので、怒れば怒るほど、自分を傷つけてしまう話【紹介】

「怒り」には

  

毒素が含まれているので、

  

怒れば怒るほど、

  

自分を傷つけてしまう

  

  

  

  

  

  

ハブが噛みつくときは、

「怒っているとき」と

「エサにしようと思っているとき」

です。

  

  

約4億6000万年前、は

虫類とほ乳類は、

同じ脊椎動物から分かれたといいます。

  

  

「分かれた」ということは、

ハブと人間には、ほぼ同じ機能があった、

と考えることができます。

  

  

  

ハブは、自分の身を守り、

エサを捕るための道具として、

「自分の体内に毒をつくる」

という機能を進化させてきました。

  

  

  

では、人間にも、

体内に毒をつくる機能があったのでしょうか?

こういう実験があります。

  

  

  

一升瓶に普通の心理状態で

息を吹き込み、そこにハエを入れると、

「40分」くらいで「窒息死」します。

  

  

  

ところが、

怒ったり、腹を立てた状態で

怒気を吹き込むと、瓶の中のハエは、

「3分」ほどで「毒死」すると聞きました。

  

  

  

私たちが怒ったときに

はき出す呼気の中には、

じつは「毒素」が含まれている

という説があります。

  

  

  

ただし、

その毒物はタンパク質を

溶かす働きを持っているため、

相手だけでなく、

「自分の五臓六腑」まで

傷つけてしまうというのです。

  

  

  

だから、

「怒らないほうがいい」

と私は考えています。

  

  

  

人格論や精神論の話ではなく、

怒れば怒るほど、

自分で自分の体を痛めて、

損をするからです。

  

  

  

私は、

「正しい生きかたをしよう」とか、

「立派な人になりましょう」

といった話は好きではないし、

他人にそういうことを

説くことはしないようにしています。

  

  

  

  

他人がどういう生き方をしようと、

私にはあまり関係ないと考えています。

  

  

誤解を恐れずに言えば、

私の価値基準は「損得勘定」です。

  

  

私はもう、長い間ずっと腹を立てていません。

  

  

「人格者」を目指しているからではなくて、

「自分にとって得なことはやるけれども、

 損なことはやらない」

という、それだけです。

  

  

  

「損得勘定」がわかってくると、

声を荒げたりイライラしなくなります。

  

  

  

声を荒げイライラした結果、

誰がいちばん損をするかというと、

その言葉を発した「本人」です。

   

  

  

  

私たちは体調が悪いとき、

愚痴や泣き言をこぼしがちです。

  

  

  

本人は、「体調が悪いから、愚痴をこぼしている」

と思っていますが、

じつは、「逆」だとも考えられます。

  

  

  

  

「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」

という否定的な感情が

肉体を蝕んでいるのかもしれません。

  

  

  

  

私と親しい

ある外科医の話ですが、

患者の家庭環境を分析した結果、

「怒鳴りあっている環境」

で生活している人と、

「穏やかな言葉が飛び交う家庭」

で生活している人とでは、

明らかに

「前者のほうが病気になる確率が高い」こと

がわかったそうです。

  

  

  

たとえば、

狭い道に駐車している車の横を

通らなくてはいけない時、

「なんでこんなところに止めているんだ!」

と怒っている人がいます。

  

 

車の持ち主は、

どこかでコーヒーでも飲んで、

楽しい時間を過ごしている

のかもしれません。

  

  

それなのに、

「なんでこんなところに止めているんだ!」

と怒った人の方が、

結果的に内臓を痛めてしまうなんて、

こんなに損な話はありません。

  

  

  

したがって、

「腹を立てない方が、

 損得感情としては利口だ」

ということが分かるのです。

  

  

 

  

出典:ありがとうの神様

  

  

  

  

  

 

おしまい

  

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【小林正観】「いつか、突然、スーパーマンになれるかも」という「思い」を手放す【紹介】

「いつか、突然、スーパーマンになれるかも」

という「思い」を手放す

   

出典:ありがとうの奇跡

   

  

  

  

 

今、生きている「私」が、

  

すでに「100点満点」

  

1年に何人か、

次のような質問をする人がいます。

  

  

  

  

「私の『本当の使命』は何でしょうか。」

本当の自分探しを20年やっているのですが、

 まだ『本当の使命』が見つかりません」

  

「あなたは、今、何をやっているのですか」

  

「主婦です」

  

「主婦なんですね。

 じゃあ、夫と子ども、

 まわりの家族に対してできることを、

 ただ淡々とやっていけばいいわけですよね。」

   

「まずは、目の前のことをやる。

 目の前のことをやらないと、

 もしかしたら、

 神様が上から見ていて、

 『家庭のこともちゃんとやれないのだから、

 ほかのことは任せられないよね』と

 思っているのかもしれませんよ」

  

  

  

  

パッと服を脱ぎ捨てて、

突然、「スーパーマン」になることを

夢見ている人が、

世の中にはたくさんいます。

  

  

  

  

  

でも、

「今とは違う別のところに、

 すごい役割やすごい能力が

 隠されていること」は、

残念ながらありません。

  

  

  

  

  

  

 

今、生きている「私」が、

すでに「100点満点」なのだから、

「今、やらされていること」を

普通に淡々とやって、

淡々と死ぬのが、

「人生をまっとうすること」

だと私は思います。

  

  

  

  

  

   

講演会が終わってから、

私に、

次のような質問をした方がいます。

  

  

  

  

「2年前、有名な神社の境内を歩いていたら、

 白い光が私の体に入ってきました。」

   

  

「パアッとすごい光に包まれたのですが、

 あれはいったい何だったのでしょうか?」

  

  

  

  

  

私の答え。

「単なる勘違いだと思います」

  

  

  

  



この人は、

「あなたは、きっとすごい人なんだ。」

「それはすごい現象だ」

と私に言われたかったのでしょう。

  

  

  

  

  

  

けれど、私は

「唯物論者(ゆいぶつろんじゃ)」

(現象が「物質的」に現れない限り信じない)

です。

  

  

  

  

  

  

本当に特別な力を持った光が

体に入ったのだとしたら、

すでに、

私に聞く必要はなかったはずです。

  

  

  

  



すごい人になったのなら

「あれをやっても、

 これをやっても、

 何でもうまくいって、

 すでにひっぱりだこの状態になっている」

と思います。

  

  

  

   

   

「あれは何だったのでしょうか?」と

聞きに来るということは、

現時点で、

「何も起きていないから」であり、

2年間も何も起きていないということは、

「単なる勘違い」と考えるほかありません。

  

  

  

  

  

「何かすごいことをやる使命があるはずだ」

という「思い」を手放す

    

   

    

ほかにも、

こんな話をした音楽家がいました。

   

    

     

    

  

「神様から、

 天界の音楽をもらったので、

 CDを制作して販売しています」

    

  

   

  

この音楽家は、

「神の世界から、メッセージをもらっている」

と言うのです。

    

唯物論者の私は、

「ニッ」と笑って聞きました。

   

「そのCDは、売れていますか」

   

「いいえ、あまり売れていません」

    

「だとしたら、その音楽は、

 神の世界の音楽ではありませんよね」

   

  

  

  

  

  

この方は、

「天上界から、すごい役割を与えられた」と

思っていたようですが、

天上界のメッセージを受け取っているのに

「売れていない」のはおかしい気がします。

  

  

 

  

  

「自分には、何かすごいことをやる使命があるはずだ」と

思っている人ほど、

「目の前の人・こと・もの」を

大事にしていないのかもしれません。

   

  

  

  

「頼まれたこと」を誠実にこなしている人に、

「これをクリアしたので、

 次は別のことをやらせてみようかな…」と、

神様だったら思うのではないでしょうか。

  

   

  

出典:ありがとうの奇跡

  

  

    

  

   

   

 

おしまい

  

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