【小林正観】「思い」を持たない

「思い」を持たない

  

  

どうしたら悩み苦しみをゼロにすることができるか。

  

解決方法は2つあります。

  

ひとつ目の方法は、

『世の中のことは思いどおりにならない、ならないことばかりである』と思い定めること 

  

ふたつ目の方法は、

『思い』を持たないこと

  

後者は前者に比べてちょっとレベルが上がる方法です。

  

    

   

   

「因」がなければ、「果」もない

   

「思い」を持たなければ、

  

「思いどおりにならない」という悩み苦しみの現象が存在しなくなります。

  

「贅沢をしたい」という「思い」を持たなければ、

  

「贅沢ができない」という悩み苦しみの現象は存在しなくなります。

  

「あいつに勝ちたい」という「思い」を持たなければ、

  

「あいつに勝てない」という悩み苦しみの現象が存在しなくなります。

  

「因」がなければ、「果」もないのです。

  

  

  

    

「思い」を持たないと「楽」

   

「世の中のことは思いどおりにならない」と思い定める方法は、

  

悩み苦しみをあるところまで取ってくれますが、

  

「思い」を持たない方法をとると、

  

「思いどおりにならない」という現象がどこにも起きません。

  

すると、悩み苦しみはどこにも存在しいないことになります。

  

  

「思いを持たない」が自分の身につくと、とても楽になります。

  

ところが現実は、この考え方を身につけることが難しい状況になっています。

  

というのは、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学へ行っても、

  

会社でも、家庭生活でも、社会全体でも、

  

「自分の思うようにならないのは、努力が足りないからだ。頑張りが足りないからだ。」

  

というふうに、世の中全体が洗脳されているからです。

  

「自分の思いどおりになるような努力をしない人間はバカだ、クズだ。

そこで諦めてしまう人間は意気地なしで、ろくでもないやつだ」

  

という価値観を、社会全体の中で教え込まれたのです。

  

世の中がそういう考え一色に塗りつぶされています。

  

  

「夢や希望を持って、それを語りなさい、それに向かって行きなさい」

という表現もあふれています。

  

夢や希望というのは耳にはいい響きですが、

  

よく考えてみると、結局は「足りないこと」を言っているにすぎないのです。

  

「あれが足りない。これが足りない。あれをよこせ。これをよこせ」と言うことを

  

夢や希望であると吹聴しています。

  

これは突きつめていくと、「エゴ」なのです。

   

  

私たちは9990の喜びを宇宙からいただいているのに、

  

足りない10個を挙げて、それを「寄こせ、寄こせ」と言っているのです。

  

「その10個を手に入れたら幸せだ。手に入らなかったら、不幸だ」と。

  

学校教育では、誰もの頭の中が完璧にそのように洗脳されてきました。

  

校長室に行くと、「夢」や「希望」と書いてあります。

   

  

  

「宇宙の構造」は、自分が足りないもの全てをリストアップして、

  

「それを手に入れなければ、バカだ、クズだという構造」にはなっていません。

 

それは人間が勝手に人間をかき立てるために考えた方法で、

  

「宇宙の本質」とは全く違います。

  

すでにいただいている9990のこと、目が見えること、耳が聞こえること、

  

食べられること、歩けること、文字が書けること、言葉を口にできること、

  

友人がいること、友人の2人目がいること、5人目がいること、10人目がいること、

  

ありとあらゆることが、「喜び」と「感謝」になっているはずなのに、

  

「あれが足りない。これが足りない」と並べあげ、

  

「それを手に入れることが努力であり、頑張りであり、成功することだ」

  

と、洗脳されてしまったのです。

  

そこにあるのは、「枯渇感」です。

    

  

  

「足りない。足りない。足りない」。

  

だから「やらなくちゃいけない、頑張らなくちゃいけない」

  

「向上しなくちゃいけない」と自分で自分をかき立てながら生きている。

  

これは「疲れます(憑かれます)」。

  

  

それでも努力や頑張りを信じている人がいても、

  

それはそれでかまいません。

  

長い時間をかけて「ほしいものを手に入れること。

  

そのために人の2倍、5倍、10倍とがんばって努力すること。

  

それこそが人間にとって大事なものだ」と洗脳されてきたのですから。

   

   

ただ、釈迦が「般若心経」で「苦」とは「思いどおりにならないこと」であり、

  

「五蘊(ごうん)は皆、空(くう)なのだ」と教えたことを味方につけるか、

  

社会の風潮を味方にするか、の違いです。

  

釈迦の言い分にちょっと耳を傾けてもいいと思います。

  

  

    

  

「思い」を持たない生き方

  

では、「思い」がなくて生きていくというのは、どういうことか。

  

それは、

「やる立場(やる羽目)になったら、やればいい」

  

ということです。

  

やる立場(やる羽目)になったら、ああだこうだつべこべ言わずにやります。

  

黙々とやる。やらないでいいのだったら、やらない。

  

やる立場(やる羽目)になったことで、

  

そうぜざるをえない状態になったら、私はやります。

  

  

病気をすること、事故に遭うこと、結婚すること、離婚すること、

  

ありとあらゆることすべてが、「自分の思いどおりになんかならない」

  

と思い定めた人がいるとすると、そこから先に苦しみはありません。

  

  

そこからもう一歩上がると、こうなります。

  

病気をした。いつ死ぬかわからない。

  

「いつ死んでもいい」という「思い」も

  

「早く死んでしまい」という「思い」もない。

  

でも、命を長らえている。

  

   

アレしてくれと言われた。

  

コレしてくれと言われた。

  

「はい、わかりました」とやっている。

  

頼まれたら、淡々と引き受ける。

  

「こうしなければならない」という思いがないのです。

  

「全部おまかせ」なのです。

   

「思い」がなくなると、人生が楽になります。

  

  

  

  

おしまい

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