「結婚しない」という選択は
「自分勝手」なのか?
結婚は、自分の幸せのためにするものだ
ユヴァル・ノア・ハラリの
世界的ベストセラー『サピエンス全史』
には、こういうくだりがある。
進化の観点での
”成功”というのは
生存と繁殖に限って
判断されるものであり、
個体の幸せや苦痛は
考慮の対象ではないと。
すなわち、
種の構成員が
幸せであれ不幸であれ、
数さえ多ければ
成功した種とみなされるのだ。
個人個人の幸せには関心がなく、
ただ経済成長のためだけに
生ませようとするのだ。
ははぁ、そう来るか。
じゃあ僕も黙ってはいないぞ。
僕は種の成功には関心がない。
子どもを生みたければ生めばいいし、
経済が危険にさらされる
という脅しにもゆるぎはしない。
僕の幸せが第一。
非婚やディンクスに対して
「自分勝手だ」という人がいるけれど、
それのどこが自分勝手なのかと思う。
人類のために、
または国の経済のためにも
生むべきだ、という人こそ
間違えていると思う。
自分の幸せのためにするのが
結婚であり、出産のはずだから。
誰かのためにしてはならない。
自分を幸せにできるのは自分だけ
ああ生きろ、こう生きろ
と、僕らの周りには
余計なお世話が溢れているけれど、
正直、世間は
個人の幸せになんか関心がない。
だからこそ、
自分を幸せにできるのは自分だけ。
もちろん、
「人の親になることは、
人生でもっとも価値があり、
幸せなことだ」
という言葉を
否定する気はまったくない。
僕も同感。
多くの人が
経済的な理由から
結婚や出産を
あきらめなくていい社会に
なってくれることを
心から願っている。
だけど、
すべての人類が結婚して
親になれば幸せかというと
そうではないと思う。
親になってはいけない人が
親になっているケースも
実に多く見てきた。
本人も苦しいかもしれないが、
子どもはもっとつらく
苦しくて悲しいから。
おしまい