「悩み・苦しみ」
という泥水
が濃いほど、
「幸せ」という
大輪の花が咲く
お釈迦(しゃか)様の台座は、
「蓮(はす)の花」です。
なぜ、
蓮の花が
選ばれたのでしょうか?
蓮の花は、
「泥水」の中からしか、
立ち上がってこない
といわれています。
真水の場合、
蓮は立ち上がってきません。
しかも、
泥水が濃ければ濃いほど
(水が汚れているほど)、
蓮の花は、
大輪の花を咲かせる
らしいのです。
泥とは、
人生になぞらえれば、
「つらいこと」
「悲しいこと」
「大変なこと」
です。
蓮の花とは、
まさに
「人生の苦難の中で、
花を咲かせること」
です。
そして、
その花の中の実が
「悟り」
ということに
ほかならないでしょう。
「つらく悲しい思いがなければ、
人間は悟ることがないのだ」
ということを、
お釈迦様は教えたかった
ようです。
蓮の花には、
「3つの特徴」があります。
【1】 「花果同時(かかどうじ)」
花と果実が同時に開く(実る)ことです。
花が開いたときに、
中にはすでに果実が存在しています
【2】 「汚泥不染(おでいふせん)」
蓮の花は、
どんなに汚い泥の中から
立ち上がってきても、
その汚れに影響を受けず、
とてもきれいに咲いています
【3】 「蓮にあだ花なし」
「あだ花」とは
咲きそこなったり、
きれいに開かなかった
花のことをいいますが、
蓮の花には、
あだ花がないそうです
泥水から立ち上がってきた
蓮の花は、
きれいに咲く。
泥の中から
立ち上がってきたこと
を感じさせないほど、
美しく咲いています。
つまり、
どんな悩み・苦しみ・大変なこと
の中から立ち上がってきても、
そこで泥を突き抜けて
花を咲かせた人は、
美しいもの(悟り)
を手に入れる
ということです。
お釈迦様は、
蓮の花のありようについて、
ひとつの「経文」を残しました。
それが
「法華経(ほけきょう)」
というものです。
お釈迦様にとって、
蓮の花のありようは
「人間のありよう」
を教えるものであったのでしょう。
「美しい花を咲かせるためには、
泥が必要である」
「悲しみ、つらさ、大変なことがない限り、
美しい花を咲かすことができない」
ということを、
お釈迦様は、
後世の人に伝えたかったようです。
「私たちには泥水が必要である」
そう思うことができれば、
「不幸」や「悲劇」と言われていることは、
じつは自分にとって、
ものすごく嬉しく、楽しく、幸せで、
素晴らしいことだということに、
気づけるのではないでしょうか。
出典:ありがとうの魔法
おしまい