「嫌なこと」が
起きたときのために
覚えておきたい
心がスッとラクになる
「魔法の言葉」
こんな不幸が降り注ぐことなんて
……あるよね~
思いもよらなかった
不幸を前にして、
僕らはこう叫ぶ。
「どうしてこんな不幸が僕に降りかかるの?」
「こんなことを私にするなんてひどい」
「どうしてこんなことが」
しかし
冷静に考えてみれば、
絶対に起きないことなんてない。
すべて起こりえること。
だから
「どうか不幸が起こりませんように」
と祈ったり、
注意したりすることはできても、
その不幸が現実に
起こってしまうことを
僕らは避けられない。
予想できなかった
事故のように、
迫ってくる。
そんな事故を
どういう心境で
受けとめたら
いいのだろう?
望みもしなかった
人生と不幸を。
そんなときこそ、
この言葉。
「あるよね~。」
「あるよね。」
「あるある。」
ほんの少し
心が軽くなるはず。
今日も言い訳しながら
生きてます
何でもかんでも
言い訳するのは
人生をダメにする近道。
でも、
適度な言い訳は
人生をおいしくしてくれる
味の素みたいなもの。
つまり
言い訳(自己合理化)とは、
悩み多き現実社会で、
心折れずに生かしてくれる
最後の砦。
どこか一方からだけでなく、
さまざまな角度から
自分を映してくれる鏡でもある。
客観的な視点に
とらわれて生きるのではなく、
少しは主観的に
生きてみたらどうか。
ひょっとしたら、
僕たちはそれができないから、
これほどまでに
苦しんでいるのかもしれない。
”客観”という言葉は、
自分ではない
第三者の視点を意味する。
客観的に人生を見つめる
ということは、
すなわち
他人の視点から
推し量るという意味。
もちろん、
客観的な観点は必要。
しかし、
まわりの視点ばかりに
とらわれすぎると、
主体的に生きられないどころか、
他人に引きずられてしまう
可能性が大きい。
自分が心から望んだもの
ではない他人の基準に合わせた人生、
他人に突っ込まれない程度の
そこそこの人生を追いかけるような、
むなしい人生になってしまう。
そんな人生、
僕たちはもう十分に生きてきた。
だから
これから先の人生くらい、
主観的に生きたって
悪くない。
自分だけのものさしと観点で。
おしまい