【小林正観】100%幸せな1%の人々【紹介】

   

  

  

  

執着の手を離して

自由を手に入れる

   

「『100%幸せな1%の人々』とは、

 思いを持たず、

 今、恵まれていることに気づいて、

 感謝をしている人々です」

という文章から始まる。

  

  

「思いを持たず」とは、

「あれが欲しい、これが欲しい」

「あれが足りない、これが足りない」

と言わないということ。

  

  

「こうでなければイヤだ」

と執着を強く持つのではなく、

「そうならなくてもいいけど、

 なったら嬉しい、楽しい、幸せだ」

と思ったとき、

不思議な力(潜在能力)

が助けてくれる。

  

  

アフリカで、

どうやってチンパンジーや

オラウータンを捕まえるか

知っていますか。

  

  

物をつかんで

拳を握った時には、

それを引っ張り出せない程度

の大きさの木のウロ

(空洞になっているもの)

にバナナを入れておくと、

チンパンジーやオラウータンは

その穴に手を入れて

獲物を取り出そうとする。

  

  

  

そして

生け捕りにされてしまう。

  

手を離せばすぐに逃げ出せるのに、

一度つかんだものを放そうとしない

(執着している)

彼らは逃げられない。

  

  

私たちも同じかもしれません。

  

「こうでなければイヤだ」

というその執着の手を放すだけで、

私たちは

自由になれるのに

気がつかないでいるのかもしれません。

  

  

  

  

気がつきさえすれば、

あなたの周りは

幸せだらけなんです

  

幸せというのは、

良いことが起きるとか、

楽しいことが起きることではない。

  

そうではなく、

「何も起きないことが幸せの絶対的な本質」。

   

この幸せの本質を知らないまま

「どこかに幸せがあるに違いない」

と言って、

頑張る人がいますが、

幸せと言うのは

「努力したら手に入るもの」

ではない。

   

目が見えること、

耳が聞こえること、

足を使って歩けること、

物が持てること、

息ができること、

食事ができること、

友人がいることなど、

   

「今まで当たり前だと思っていたこと」

に感謝することができれば、

日常生活は「幸せ」

に満ち溢れていること

に気づく。

    

  

「幸せ」は、

目の前に山ほどあり、

私たちは「幸せ」

という海に浸かっている

にも関わらず、

それを認識していないだけ。

  

  

「幸せ」は、

どこかに行けば

手に入るものではない。

気付くだけで手に入る。

  

  

  

わたしの身に起こることは、

わたしにとって必要なこと

  

「宇宙には、幸せも不幸も、

 そういう現象は存在しない」

ということ。

  

どういうことかと言うと、

ある現象が目の前を通り過ぎようとしたとき、

「私」が何も関心を示さなければ、

ただ通り過ぎただけ。

  

しかし、

その現象について

私が「おもしろい」

と思ったならば、

それは

「私」にとって面白いことになる。

  

目の前の現象について

私が「つらい」と思った瞬間、

「私」にとってつらい現象になる。

  

しかし、

私が「幸せ」と思った瞬間、

「私」にのみ帰属した幸せな現象になる。

  

 

事実や現象はひとつですが、

それを受け止める側の「心」が

その現象の価値を決めている。

  

「とらえ方」の違いで、

目の前の現象は

「幸」にも「不幸」にもなる、

ということ。

  

そして

いつでも「幸せ」を認識できる

「1%」の人々とは、

「すべてを受け入れる」こと

をしている人たちとのこと。

  

  

 

「すべてを受け入れる」とは、

自分に起きたことや

これから起こることは、

「すべて自分が成長するために必要だ(だった)」

と、受け入れること。

  

  

私たちが

目の前の現象について

悩んだり苦しんでいるのは、

そのことを受け入れず、

否定していることから始まる。

  

  

否定せずに、受け入れる。

  

私にとって必要なことなのだから、と。

  

  

  

  

  

他人の価値観を

変えようとした瞬間から、

その人は

あなたのストレスになる

  

正観氏のところには

いろんな人が相談にくるそうです、

「私の姉が・・・・・、息子が・・・・・」

と言い始めると、

もうそこで「やめにしましょう」

と言って終わりにしてしまう。

  

それは、

本人の問題であれば

聞くことができるけど、

周りの人をどうしたい

という話は

相談ごとではないから。

  

ただ「自分の思い通りにしたい」だけ

だから。

  

「夫が酒を飲んで夜12時以降にしか帰ってこない。どうしたらいいか」

  

「子供が不登校になってしまった。どうしたらいいか」

  

「叔父と叔母がケンカばかりしている。どうしたらいいか」

  

いずれの相談も、

「自分がどう生きるか」

ではなくて、

「自分以外の人をいかに自分の思い通りにするか」

ということが、

自分の「悩み」

だと思っている。

   

「自分以外のものを自分の思い通りにする」

という考え方を全部やめる。

  

自分の価値観、

自分の考え、

自分の生き方

とは違うということを認め、

まるごと受けいれてしまう。

  

 

その人がそういう人

であることを認めてしまった方が、

自分にとって一番ラク。

  

  

  

  

他人の価値観を否定せず、

自分の価値観を拡張していく

  

自分の心の広さを

仮に「扇」に例える。

  

その扇の広さ90度が平均的寛容度だとする。

  

そして、

その90度の外側に、

自分にとって許せない、

あるいは我慢できない人が

存在するとします。

  

その外側にいる人を、

自分の90度の枠内に

連れてこようとする。

  

その人が

自分の価値観や許容範囲の中

に入ってきてくれれば

何の問題もないのですが、

そうそう簡単には入ってきてくれない。

  

そこで悩み、

苦しみ、

ストレスを感じる。

  

もし、

自分の90度の

許容度・寛容度を広げることができ、

相手を受け入れることができたならば、

そこで問題は消滅する。

  

イライラも腹立ちもなく、

相手を受け入れたのだから、

相手が自分の許容範囲

に入っていることになる。

  

仮に許容範囲が120度になったとき、

130度のところに、

また人が現れたとする。

  

その人を私が認め、

受け入れてしまえば、

私の心の領域が広がり、

またイライラがなくなる。

 

「そういう価値観の人も確かにいるよね」

というふうに、

自分の心の許容範囲を広げることで、

楽になるのは相手ではない。

  

自分自身がラクになる。

  

だから、

その現われてくれた人は、

常に心の許容範囲を広げて下さる方

だと思ってみる。

  

その人のおかげで、

やがて180度のきれいな扇の広がり

を持つことができるようになる。

  

心の「扇」を広げること。

  

これこそがまさに、

自分が

ラクに生きるための「奥儀」。

  

  

  

価値観に

良いも悪いもなく、

その価値観によって

自己完結する

  

「人生というのは、一人の人間において『自己完結』するものです」

という一文がありました。

  

  

ある女性の話。

  

彼女には、

23~24歳の後輩のOLが3人いた。

  

その会社では、

春と秋にバーベキュー大会

を開催するのが恒例だった。

  

いつもその3人のOLは、

焼いている時は

遠くでおしゃべりをし、

食べる段になると

最前列まで来て食べるそう。

  

そして片付けのころになると

「用事があるので失礼します」

と言って帰っていく。

  

何の手伝いもしたことがないとのこと。

  

その女性は、

「あの3人に対しては、

 どうしてもイライラと腹が立つのです。

 どのように解決したらいいでしょう」

と小林正観さんに聞いたそう。

  

正観さんの答えは、

自分がバーベキューを手伝いたくないのなら、

やらなくていい。

  

やりたければやればいいし、

やりたくなければ、

やらなければいい。

  

その結果が自分に返ってくる。

  

それが「自己完結」。

  

要領よく立ち回っている

その3人とも、

それぞれの人生で

「自己完結」するはず、

というもの。

   

だから、

自分の持っている価値観と他の人

(この場合は、3人のOL)

のそれが違っても、

論評する必要はない。

  

その3人には、

その生き方に見合った結果

が返ってくる。

  

  

  

  

  

  

「思いを持たない」とは、

目標も持ってはいけないのか?

  

  

「7つの習慣」の第一の習慣「主体性を発揮する」

ほぼ同じことを言っている。

   

「原理原則」

ということなのでしょう。

  

   

一方で、

小林正観さんや斉藤一人さんの本を読むと、

いわゆる成功の王道として語られる

「人生の目的を決め、目標を持って生きる」

といった考えとのギャップをいつも感じる。

  

  

  

例えば本書で言えば、

「思いを持たない」、

「執着の手を離す」といったこと。

  

  

「目標を持つ」ことは、

「思いを持たない」こと

と相反するのじゃないかと。

  

  

  

自分の理解が浅いだけで、

深いところでは

同じ方向を向いているのか

そんな風にも感じる。

  

  

  

おしまい

  

  

  

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